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OSSのフリーライドについて

#essay#oss2024/1/2

背景

近頃、OSS界隈で炎上があった。 発端は、羽生善治先生のインタビューを読んだやねうらお氏が物申したことによる。 インタビューには次のような文章がある。

将棋をこよなく愛する開発者のみなさんは、将棋ソフトの開発で稼ごうと思っている人たちが少ないのです。
そのため、開発したプログラムを自分のスキルを披露する場として捉えて公開し、私たちが将棋AIを使うためのアプリも無償で公開してくれています。

要は、フリーライドする側がフリーライドを変に正当化したのである。 これを受けたやねうらお氏が、「AI開発には金がかかっている。プログラミングが好きというだけで無償化しているのではない。OSSはただの無償ソフトウェアではない」として、寄付した人に最新版を頒布するように方針を変えた。 このことが賛否両論を生み、将棋好きとOSS開発者とで論争を生んでいるようである。

私の主張

まず、OSSである必要十分条件は「ソースコードが誰にでも入手可能」であると考えている。 そして、「フリーライドするだけしてフィードバックしない奴は悪!」という主張は必ずしも正しくはない、と考えている。

現状私は、自分のすべてOSSをCC0のもとに公開し、かつなるべくサードパーティ製ソフトウェアに依存しないようにしている。 何故CC0に拘るかと言えば、矢張り権利問題が面倒くさいからで、ひいては「気軽に使いたい」「気軽に使って欲しい」からである。

これは一見「フリーライド」を助長するように思える。 しかし、私は「フリーライド」を全肯定しているわけではない。 私は商業が嫌いだ。コピーレフト性のないOSSは、非OSSに我が物顔で取り込まれてしまう。 これには強く嫌悪感を覚える。

さて、OSSの理念の一般的な認識として、「利用者もまたフィードバックするなりコミットメントするなりして回っていくのがOSS」というものがある。 しかし、この理念を鵜呑みにすると、開発者・ソフトに還元しないすべて利用者は「フリーライダー」として非難すべきだということになる。例えば、pngアナライザを実装するのが面倒くさいからstb_imageを使う、という者も非難されるべきとなる。 これは過剰である。

この過剰は、いちOSSにのみ着目する「ミクロな視点」でしか考えていないゆえに生じている。 重要なのは、すべてがOSSであるべきということである。 このすべてがOSSからなるエコシステムに着目する「マクロな視点」では、「皆で最強のソフトウェアを作ろう」「そしてそのソフトウェアは元のソフトウェアでなくてもよい」という理念が生じる。 この理念は、上の理念を内包する。

つまり、「還元」は元のOSSに行われなければならないわけではない。 「還元」はOSSからなるエコシステムに行われればいい。 例えば、pngアナライザを組み込んだゲームエンジンを参考にしたゲームエンジンを使ったゲームの一部をコピペしたゲームの……、という利用の連鎖により、改善点が見つかり・あるいは進化し、エコシステムは洗練される。

まとめると、OSSの利用者は必ずしもそのOSSに対して還元しなくてもよい。 しかし、利用者はOSSからなるエコシステムに対して還元しなければならない。 その点で、商業的なフリーライドは非難すべきである。