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ライセンスあれこれ


ライセンスは著作権法等の法と密接に関わる文書であり、その問題は最終的に司法に委ねられる。 ライセンシーの義務は各ライセンスに依存し、書いてあること以上のことを察さねばならない。

私は法そのものが大嫌いだが、だからこそ、権利問題がおざなりにされることが腹立たしい。 人を犯罪者扱いするなら、法の従事者に対して十分な教育をし、かつ法自体を誤解の生じづらい体制で管理していただきたい。

当記事は、色々調べてみたなりの、私の個人的な解釈である。

MIT License

原文日本語訳

ソフトウェアの複製を取得した者が、ソフトウェアの複製を"deal"するためにライセンス表示義務を負うライセンス。

"deal"の意味は後の"use, copy, modify..."と具体的に分解されて説明されている。 "use"はいかなる利用を含めて良いだろう。 だから、MITライセンスのもとに頒布されるテキストエディタでコーディングするためにもライセンス表示義務が発生する。 普通テキストエディタにライセンスファイルが同梱されているはずなので、これを削除しない限りは自動的に義務を果たすことになる。

ケース1

MITライセンスのもと頒布されるプロダクト(T)がある。あるプロダクト(P)は(T)のエミュレータであり、エミュレート以外の機能を持たない。(P)は(T)を含まずに頒布されるが、(P)の動作には(T)が必要である。このとき、(P)は(T)のライセンス表示義務を負うか?

負わない。なぜなら、MITライセンスが条件を課すのは、ソフトウェアの複製を取得する者に対してであるから。(P)が(T)を含まずに頒布される限り、(P)はそれに該当しない。

ケース2

MITライセンスのもと頒布されるプロダクト(T)がある。(T)はある形式のクエリ(Q)を処理して、あるレスポンス(R)を返す。ある者は(T)をサーバに配置し、ユーザからの(Q)を(R)に返すプロダクト(P)を提供する。(T)がユーザに再頒布されることは決してない。このとき、(P)は(T)のライセンス表示義務を負うか?

負う。なぜなら、(P)は(T)の複製を利用しているから。ユーザに対して(T)の複製が再頒布されるか否かではなく、(P)が(T)の複製を利用しているか否かで考えなければならない。(P)が(T)の複製を利用している限り、(T)のライセンス条文を(P)内の重要な部分に記載しなければならない。

ケース3

MITライセンスのもと頒布されるプロダクト(T)がある。(T)はある言語(L)のコンパイラである。(L)で記述され(T)によってコンパイルされたプロダクト(P)がある。(P)は単独でユーザに頒布される。このとき、(P)は(T)のライセンス表示義務を負うか?

一概には言えない。もし、(P)に(T)の複製の一切が含まれないのであれば、(T)の利用者は開発者に限る。つまり(P)のユーザは(T)を利用しないため、表示義務は発生しない。一方、(T)が勝手に(T)のライブラリをリンクしている場合等は、(T)の利用者には(P)及び(P)のユーザも含まれるため、表示義務が発生する。

GPLv3

原文日本語訳

GPLv3 licensedされた著作物(A)、これを利用する第二者(B)、第三者(C)を考える。

GPLv3 licensedな著作物が混入しないいかなる利用には、ライセンス表示義務がない? つまり、外部プロセス実行でGPLv3 licensedされたプログラムを実行しても、そのプログラムに言及する義務がない?

GCC RLE

GCC Runtime Library Exceptionは、GPLv3, 7. Additional Terms.によって適用される追加許可。この例外が適用された著作物(A)を第二者(B)が利用してプロダクト(B-1)を作るとき、(B-1)がGPLv3を侵害するとしても問題がない、という許可である。

ただし、例外が適用されたRuntime Libraryをリストアップすることは容易でない。 というか、恐らくGNUはまともに示していない。 一応、ヘッダーファイルならその冒頭を、オブジェクトファイルならソースファイルの冒頭を見れば示されていることもある。 ものによっては、GCCが勝手にリンクするいかなるライブラリはGCC RLEが適用される、とも取れる解説をしているが、その根拠は示されていない。

License List

Archlinuxで空のCコードを実行可能バイナリまでビルドしたとき、リンカでリンクされるファイルのライセンスに関する詳細は以下のようである。

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